ワクチンに関する2つのニュースとドラッグ・ラグ
最近の医療関係ニュースを見ていたら、たまたまワクチン関係のニュースが2つ並んでいた。
「国産ワクチン開発 国立感染研など協議会設立へ」と「子宮頸がんの新しい予防ワクチン、効果は9割」という対照的なものだ。
ワクチン製剤はそもそも、普通の製薬会社では開発・製造技術がほとんど無い。
日本ではワクチンに特化した製薬会社がそのほとんどを開発・製造している。
(参考:細菌製剤協会 http://www.wakutin.or.jp/)
つい先日も麻疹(はしか)が時ならぬ流行をみせ、いくつかの学校が休校となった。
あわてて、これからは麻疹ワクチンの接種を義務付けることも検討しているらしい。
ところで、ZARDの坂井 泉水さんが、子宮頸がんの治療中に転落事故で亡くなられた。
ほとんどの子宮頸がんは扁平上皮がんであり、これらは発生原因が科学的にほぼ解明されている。
ヒトパピローマウイルス(HPV)の長期間の感染により発症することが最近の研究で明らかになっている。
そこで、ワクチンの登場となるわけだ。
このウイルスは性行為で感染するが、イギリスでは今月初頭にこのワクチンを12歳の女子に接種させる法案が提出されており、来年に施行される可能性があるという。
イギリスでは、このワクチンのおかげで子宮頸がんにならずにすんだ人が、日本では(ワクチンが承認されておらず、接種がなされてなければ)子宮頸がんになるかもしれない。
ドラッグ・ラグとは、そういうことだ。
また、他の国では安全性に問題が有るということで、使用を中止された薬剤が、日本では使われ続け、その結果、薬害が発生する。
これもまた、ドラッグ・ラグの一種だ。
こういうことって、健康なひとや健康な時には気づきにくいことだけど、いざ、自分や家族や恋人、友人がそのような状況におかれて始めて気づく。
だけど、僕たちは、一般のひとよりも、そういうことの事情や状況をよく知っているはずだ。(そのはず。それすらも怪しいか。)
だから、日本の状況をより多くのひとに知ってもらい、治験についての理解を得ていくことが大切だ。
・・・・・・この「一般のひとに治験の理解を得てもらう」という言葉は何年間、続いているだろうか?
少なくとも、ぼくがこのサイトを立ち上げた7年前から言われ続けており、状況は残念ながら、あまり変わっていない(多少は、変わったと思いたい)。
しかし、じゃ、日本はドラッグ・ラグという状態ですから、あなたが治験に参加しないと、ますます、その状況が悪化しますよ、とは言えない。
(社会への貢献度よりも、個人の人権を優先する。)
では、どう打破していくか。
今までの延長線上でものごとを考えていて、10年後に状況が変わっているだろうか?
GCPが変わり、同意は文書で必須、と厳しく法律で規定されたからこそ、今、同意は当然のように事前の文書で説明し、文書で同意が得られている。
このGCPが変わる前後では180度のパラダイム・シフトが起こっている。
「今の日本の状況、医療環境、医療風土では、文書同意は難しい。ましてや抗がん剤の治験では不可能だ。」と言っているひともいたが、そんなのおかまいなしである。
「治験の契約は医療機関の長と交わす」ことを「治験責任医師と契約を交わす」にすることが、どれほどのもんだろう?
そういうこまごましいところは、さっさと決めてしまって、もっと大きな問題に取り組んでいこう。
日本で行われている全治験と全実施施設の一覧をインターネットで公表する。
病気で苦しんでいる人は、自分の疾患に対する治験薬にはどのようなものがあり、それはどこの病院に行ったら、使ってもらえるのか、が分かるようにする。
患者の視点に立った改革が必要だ。(必須文書を半分に減らしてもらえるのは、それはそれでありがたいが、あまり患者に影響しない。)
海外の標準薬とその中で日本ではまだ承認されていない薬の一覧表を厚生労働省のホームページの中にあってもいい。
日本ではまだ開発の準備すら始まっていない薬が山のようにある。
この現状を認識しつつ、新薬の種を探す努力も続けなければならない。
そういう意味では、「ワクチン開発研究機関協議会(仮称)」の確実な成果に期待したい。
CRO業界で働いて分かったこと。感じたこと。期待すること。
この7月で、僕もCRO業界で働き始めて4年になる。
そこで感じたことは、治験の進め方にも製薬会社によっていろんな方法があるもんだ、ということだ。
もちろん、基本的なやり方は大きく変わることは無いのだが、細かい点になると各社各様。
プロトコルの作り方、CRFの設計方法、医師からのコメントの貰い方、もらうべき項目の基準、モニタリング報告書に記載すべき事項、記載して欲しくない事項、はたまた、CROとの協力関係の築き方など等。
CROは各クライアントとの間に守秘義務が有るので、そういうことを表立って言うことはないのだが、CROで働くモニターにとっては凄く勉強になるし、ノウハウの構築にも繋がる。(モニターに限らず、CRO会社としても。)
外資系製薬会社にいると、転職して来る人が多いので、他社がどういうふうに治験を進めているかを多少は知ることができる。
しかし、国内メーカーに長く勤めていて、しかも、その会社に転職して入ってくる人が少ないと、まず気になるのが「よそはどうしてる?」ということらしい。
外資系の場合、よそでやっていることの二番煎じなんてやってられるか、うちがオリジナルの新しいやり方でやってやる、というパイオニアの雰囲気もある。
横並び主義の風潮も少ない。
しかし、国内メーカーでは割と「よそでやっていないこと」を「うちが一番最初にやる」というのは、相当、敷居が高い。
CROで働いていると、その手のパイオニア的手法を使うときには、まずは、絶対にクライアントである製薬会社にお伺いをたてる。
そして、そのクライアントの反応も各社各様だ。
最近の学生は、CROで働くことのより、いろんな会社のいろんな治験を担当することができ、自分の成長に繋がる、あるいは色んな治験をやってみたい、という理由でCROを希望してくる人がほとんどだ。
話しは60光年ほど飛ぶが、「アイディア」とは「異質なものの組み合わせ」という定義がある。
ゼロからアイディアを作ることは不可能で、今までのアイディアを発展させる、あるいは組み合わせて、新しいアイディアを作る、というのがセオリーだ。
そこで、せっかくCROで働いているのだから、各社の治験のやり方を頭の中で組み合わせて、新しい治験のやり方を考える、ということもできる。
そこから、ソリューション提供型のCROというカテゴリーも作ることができる。
しかし、クライアントの中には「CROは余計なことをしなくていい。こちらの言ったとおりにやって欲しい」という会社もあるだろう。
それはそれで、もちろん、全然、問題ない。
今はまだ違うだろうが、そのうち、製薬会社に所属するモニター(CRA)よりもCROに所属するモニター(CRA)の人数が上回る時が来るに違いない。
そのとき、治験のやり方が変わってくるだろうか? それとも全く変わらないだろうか。
そのあたりが、僕としては、今、一番、気にかかるところだ。
とことん治験の質「問題」の「周辺」にこだわってみる
以前、ここで日本の治験の質が低いとはどういうことかを触れた。(2007/05/19『オーバークォリティ』を考える)
今週はさらに日本の治験の質が低いとはどういうことか、考えてみたい。
まず「治験の質」と言ったときの「質」とは何か?
いろいろ考え方はあるが、たとえば次のことが考えられる。
・GCP、プロトコルの遵守状況
・データの信頼性、科学性
・創薬ボランティアの安全性を確保しているか
・モニタリング報告書等で治験が再現できるか
・契約書等の必須文書類が求められている事項を満たしているか
・・・・・・など等。
さて、ここで「日本の治験の質が低い」と言ったときに何を指しているのだろう?
もちろん、それは各個人(各会社)で考えていることは違うし、そのセンテンスが出てきた流れによっても違う。
また、低い、高い、と言ったときに「何を基準にして」、日本の治験の質は低い、と言っているのだろう?
何かと比べて低い、と言っているのか、それとも「総合機構から10個以上」の指摘が有ったら低いとか10個未満なら低いとか言っているのだろうか?
「何を指しているのか」と「何を基準にしているのか」が問題だ。
また、それはいつの時点のことを指しているのか、ということだって、この手の話をする時には重要だろう。
僕がモニターをやっていたころの「旧GCP」に比べて、今はどうだろう?(絶対に、あの頃に比べれば飛躍的にデータの信頼性もプロトコルの遵守状況も向上している。)
あるいは欧米の治験に比べて、あるいは韓国、中国、台湾などに比べて、日本の治験の質はどうだろう?
はたまた、こういう考え方もあるかもしれない。
「3年前の我が社の治験に比べて、今の我が社の治験の質は・・・・・・云々。」
「施設への依頼、契約は問題無いが、プロトコル不遵守が多いので、そこは質が低いと言わざるを得ない」とか。
繰り返すが「治験の何をもって質が高い、低い」と言うのか、「何を基準にして」「どうだったら」質が高いと言えるのか、が大切だ。
日本の治験の何かもかも、全ての質が低いのだろうか?
こういう話は他のことを論じる時にも欠かせない。
「モニターの質の向上」とか「監査担当者の質の向上」とか、漠然としたことを考えていても、そこから先に話が進まない。
どうなったらモニターの質が向上したと言えるのだろう?
実は、このことは僕の仕事にも密接に関連してくる。
僕はモニターの教育を行っているが、その教育効果をどう計るが重要になってくるわけだ。
例えばSOPに「モニターの質向上のために継続研修を実施する」なんて書いていても、何をもってモニターの質を向上させる教育・研修を行ったか、という視点が常に大切になってくる。
「研修を年間30回以上やりました」という回数だけ言っていても意味が無い、ということだ。
「治験のあり方検討会」でも、きっと治験の質、ということも検討されるだろうし、各製薬会社、CRO、治験実施医療機関、SMOにおいても、自分たちの行っている治験の質について、検討していることだろう。
それらの検討の結果、日本の治験の質があがりました、モニターの質があがりました、必須文書には誤字脱字はありません、でも、1年で済む治験が5年かかりました、では、ちょっと困る。
そこには「何のために日本の治験の質を向上させる必要があるのか」という視点を加えないといけない。
また、例えば「新薬の開発期間が従来に比べて2年間、短縮されました」という時に「治験の質」はどう絡んでくるのだろう?
ここから先は、みんなで考えよう!(僕も考えてみようっと。)
治験プロジェクトを完遂させる方法
今回のタイトルは本当なら「治験プロジェクトを“成功”させる方法」と書きたかったのだが、治験の場合、どうあがいても失敗することも多々あるので、とりあえず最後までメンバーの全員がモチベーション高く完遂させることを考える、というタイトルにした。
今年の4月に入ってきた新入社員の皆さんも、3ヶ月が過ぎ、そろそろ会社や社会人生活に慣れてきた頃と思う。
でも、まぁ、まだモニターとして一人で施設に行ける状態ではないかな。(書類を運ぶくらいなら、もちろんできるだろうが、SDVなんて、まだ無理でしょう。)
その新人モニターが例えば最初に配属された治験プロジェクトが3年に渡るものだとしましょう。
最初の1年はとにかく、何が何やら分からないままガムシャラに、とにかく、期限を守らなくちゃ!という感じで仕事をやる。
ときには失敗もし、施設に先輩や上司と一緒に謝りに行ったりしてね。
2年目になると、そろそろ仕事そのものには慣れてくるのだが、治験が新しい局面に入るので(例えば、最初の1年目は施設の調査・選定から依頼、治験薬の搬入、創薬ボランティアの登録依頼などだが、2年目になるとCRFの作成促進、SDV、CRFの回収と固定などが多くなる)、それはそれで、忙しい毎日を過ごすことになる。
そして、最後の3年目は治験を収束に向かわせるために、最後の頑張りでCRFの完全固定、必須文書の確認、終了手続き、そして、治験結果を待つ。
こうしてみると、新人にとっては3年間が、ずっと初体験の連続で、仕事に張り合いが出て、とても転職なんて考えられないように思うかもしれないが、実はこの最初の3年間で転職する人がかなりいる。
僕が所属したことがある会社の形態で言うと、圧倒的に転職が多いのは外資系製薬会社で、次がCRO、まずほとんど無いのが内資系製薬会社だ。
外資系とCROに転職が多い理由の一つに、もともと上司だって、転職してその会社に来た、というのがある。
内資系製薬会社で働いていた時には、同僚や上司が転職していくというのはほとんど無かった。
一方で、外資系の場合、転職で入ってくる人はいるわ、出て行く人はいるわで、つまり、転職が「日常」なのだ。
CROも、日本ではまだ歴史の浅い業界なので、立ち上げ当時は製薬会社からの中途採用が多い(即ち転職だ)。
一度、転職で入って来た人は、転職でその会社を出て行くことにも抵抗は無い。
そういう上司を見て育つ新人たちも、「へー、会社って、そんなもんなんだ。」ということで、内資系製薬会社に入った新入社員に比べてはるかに転職に対して「違和感」や「抵抗」はない、というのが僕の見解だ。
こういう(転職の多い)世界で治験のプロジェクトを成功させるためには、リーダーは何をすればいいのだろうか?
多分、こういうリーダーに求められるのは、メンバーの心を、未来のある一点に向けさせる能力だ。
その一点とは「このプロジェクトが終わった時に訪れるもの」だ。
例えば、このプロジェクトが終われば新薬をひとつ、世の中に提供できる(社会貢献)、とか、ボーナスが上がるとか昇給、昇進するとか(社内的成功)、あるいは、自分が成長していること(人間としての成長)や達成感、満足感かもしれない。
リーダーは個々のメンバー性格や特性を見ながら、そのメンバーに合った「期待される未来」を具体的に提示し、そのメンバーの心を、その一点に向ける必要がある。
こうすることにより、リーダーは、メンバー全員をプロジェクト完遂に向かわせる。途中で転職させずにね。
転職する理由は様々だ。モチベーションが上がらない、人間関係、給料が安い、常に超多忙だ、会社の風土が肌に合わない、など等。
こういう人たちも含めて、最後には治験を完遂させないといけない。
でも、実はこれは転職対策だけでなく、転職の少ない内資系製薬会社でも同様なのだ。
モチベーションが下がる、モラルが下がる、異動願いが多発する、など等。
『治験プロジェクトを完遂させる方法』はリーダーが目的地を明確にし、メンバーが全員、そこを目指す(当然、チームワークも要求される)ようにすること。
そして、それは会社生活を完遂させる方法にも言えることだ(たとえ、会社名が変わったとしても)。
『コンパッショネートユース(CU:Compassionate Use:人道的使用)』
現在、厚生労働省の「有効で安全な医薬品を迅速に提供するための検討会」が未承認医薬品をいかにして、迅速に安全に患者へ届けるかを検討している。
今日(2007/07/01)現在、第8回まで検討が終了している。
この検討会の中で一部の未承認薬については『コンパッショネートユース(CU:Compassionate Use:人道的使用)』を限定的に認めようではないかという方向で話が進んでいる。
新聞等の報によれば厚労省はこれを受け、来年度導入に向け検討に入るらしいが、実際にはいつになることか。
この制度を患者の立場で考えると、心配になるのがまず「費用」の問題だ。
未承認薬なので、当然、健康保険は使えない。全て、自費ということになるのだろうか?
また、「万が一」の副作用などが出た場合、それも重篤な場合に補償や救済されるのだろうか? 例えば、総合機構の「副作用被害救済制度」の対象となるのだろうか?
そして、それはいつまで未承認薬のままなのだろうか? 製薬会社は通常の健康保険が適応できるよう承認をいつかは取ってくれるのだろうか?
・・・・・・というようなことが心配だ。
そもそも、この『コンパッショネートユース(CU:Compassionate Use:人道的使用)』の対象となるのが「重病で代替治療がない」場合を対象としているので、患者や家族は、この制度に期待をかけると思う。
しかし、これはあくまでも『特例』なのだ。
この制度の対象にならない「未承認薬」もあることだろう。そのような場合、患者はどうしたらいいのだろう?医師に頼んで個人輸入してもらうしかないのだろうか?
現在でも、難病で患者数が少ない疾患の治療薬は「オーファンドラック」制度があり、製薬会社に対しては税制上の面と審査段階での優先順位の点で優遇される。
でも、こういう制度が有ったとしても、もやっぱり製薬会社の思惑ひとつで、日本国内で開発するかどうかが決まる。
医師主導型治験制度も、この手の「製薬会社」がなかなか開発をしてくれそうもない場合、医師が自らその薬の治験をやることができる、ということがメインの目的として制度化された。
この目的はいいのだが、今のところ、期待されたほど活発に利用されていないようだ。
『ドラッグラグ』というのは、時間差があるけれども、日本国内でも承認され、使用されるから、まだましだ。
『コンパッショネートユース(CU:Compassionate Use:人道的使用)』を検討する必要性というのは、そもそも、製薬会社が日本で開発する意志が無い(けれど、海外では使われている)治療薬が存在しているからだ。
先週からの繰り返しになるが「患者」にわざわざ「様」までつけて患者を思ってくれている製薬企業もあるくらいだから、是非、その「患者様のための」製薬会社になって欲しい。
ところで、「患者のための製薬会社」って、どういうことだろう?どんな会社なら、そう呼べるのだろう?
患者をあきらめない治験
長いこと治験の業界に足を突っ込んでいると(と言っても、たかだが10年程度だが)、「あの新薬はまだ出ないの?」とか「あの治験はどうなったんだろう?」とか「期待されていたあの新薬の開発はどうなっている?」という話を聴く。
実は僕も個人的に期待していた新薬がまだ市場に出ていない(製造販売の承認が取れていない)。
噂によると、また治験をやり直している(か、追加の試験をやっている)らしい。
一患者の立場で言わせてもらうと「何、やってんの?」だ。
その治験薬は当初の予定ではとっくに市販されていてもおかしくない。
何しろ、フェーズ3の創薬ボランティアの募集を新聞等で募集していたのが、もう、今から7年前。
海外では既に市販され、この分野では最もポピュラーの薬になっているのに、日本では、まだ治験をやっている状態。
しかも、ひょっとしたら、その治験だってうまく行くかどうか分からず、下手したら日本での開発を諦める可能性だってある。
一時、僕はこの期待していた薬を個人輸入でアメリカから購入して使っていた(効果はもちろん有った)。
その後、この薬と似た薬理メカニズムを持つ別の薬が先に日本で販売されたので、今は、そちらを保険適応で使用している。
こういうのがタイムラグに苦しむ患者の気持ち、経済的不安なんだと思う。
今ではインターネットで自分の病気の最新の治療方法を調べることができる。
でも、そこにこんなことが書かれているとがっかりする。
「海外では●●●が標準的に使用されているが、日本ではまだ承認されていない。」
しかし、患者はそんなことで病気との闘い(或いは共存)を諦めるわけにはいかな。
ましてや、患者が本人ではなく、自分の子どもなら、なおさらだ。
患者は新薬が出てくることに希望をつないで生きている。
患者は決して、その新薬の治験を諦めない。
でも、製薬会社は治験を途中で諦めることもある。
新薬開発を中止するのは、製薬会社にとっても大きな痛手だが、諸々の事情で(最も大きな理由は有効性が証明できなかったり、安全性に問題が有ったりした場合)、期待の新薬を諦める。
有効性や安全性に問題が有るなら仕方がないが、治験のやり方がまずかったり、GCP不遵守が多かったりして、再度、治験をやり直すことになり、これ以上は経済的にやっていけない、という理由では諦めて欲しくない。
正直な話、僕がこれまで関係してきた治験薬でも、数年前に治験を行い、その時は有効性を証明できず、しばらくお蔵入りしていたものが、やおら蔵から取り出され、もう一度、開発を始める、という例が少なくない。
(この手の話は外資系に多い。たとえば海外では既にドル箱に近いくらい使用されているのに、日本でやった治験では有効性を証明できなかった場合などが、この例にあたる。)
この業界の人間として、この手の話を聞くと心が痛む(少なくとも、いい感じはしない)。
その新薬の出番を諦めていない患者がいる限り、僕たちはそう簡単に治験を諦めてはいけない。
僕は今でも、前述した新薬の承認を待っている。決して諦めてはいない。
僕たちが治験を行う時は、患者を諦めてはいけないのだ。
市場主義、自由競争経済の中で生きている製薬業界だから、利益の確保は重要だ。次の新薬開発のためにも資金がいる。
しかし、他の業界と違い、ただ利益優先だと困る。
製薬業界の各種会社のホームページを見るといい。
そこには各社のビジョン、ミッション、使命、理念など等が記載されている。
たいてい「患者のために」の言葉が入っている。
この言葉が単なる言葉だけで終わらないことを、一患者として祈っている(祈るしかできないところが患者の最も辛くて歯がゆいところだ)。
あなたが担当している治験の意義は?(一般論を具体論にブレイクダウ
新入社員の導入研修に一区切りがついて、ホッとしているホーライです。
ところで、その導入研修の仮免試験とでも言うべき「面接試験」の試験官をやった。
約2ヶ月の導入研修を終えた新入社員に対して、どの程度、GCPや治験、プロトコル等の知識があるか、モニターとしての心構えがきちんとできているか等を試験する。
この試験の時にも使った質問事項ですが、「あなたが担当している治験を行うことの意義は何ですか?」
新入社員であれば、治験そのものの意義は、まぁ、答えられるが、もっと具体的に「自分が担当するプロジェクト(プロダクト)の治験を行う意義」となると、なかなか難しい。
担当する治験薬の存在意義はなんだろう?
その中で、今回、自分が担当するこのプロトコルで行う治験をやる意義は?
いかがでしょう?
人は、自分の存在意義もよく考えます。「自分がこの会社で存在する、働く意義は? そもそも、この会社での存在理由は?」とかですね。
それと同様です。
さて、一つのプロトコルであっても長い治験ですと、治験期間が3年位になります。
これだけの長さになると、その間に治験が進まないとか、CRFの回収が進まないとか、SDVだけでまるまる1週間が埋まるとか、かなり辛いことや、困難を壁にぶち当たることや、極めて多忙になることがあります。
そんな時に頭をよぎるのが「なんで、こんなに忙しいの?」とか「え〜〜い!もう辞めてやる!」とかです。(よぎらない?僕だけ?)
この時に、考えないといけないのが「“この”プロトコルの治験を行う意義」と「“この”治験薬の社会的意義や医学的意義」です。
一般的な治験の意義は「新薬を一日でも世に出し、一人でも多くの患者さんの病苦を救うこと」等と考えるのですが、それだけでは、モニター業務(あるいはCRC業務、治験責任医師業務、信頼性調査業務)は勤まりません。
今、まさに、この手に持っているプロトコルの治験の意義という具体的なところまでブレイクダウンしないと仕事には使えません。
(もちろん、一般的な治験の意義も自分なりに考えないといけないのですが。)
また、新入社員の面接試験で「どういうモニターになりたいか?」と質問すると「医師やCRCとの信頼関係を構築して、治験の質とスピードを向上させるモニターになりたい」等と答えます。
もちろん、これはこれで正しい答えですが、これでは仕事に生かせません。
「では、医師やCRCとの信頼関係を構築するとは、どういうことですか? 具体的にはどのような方法で信頼関係を構築するつもりですか? それがどう治験の質とスピードに結びつくのですか?」と試験官の僕は質問することになる。
さらに続く。
新入社員A「医師やCRCと十分な(良好な)コミュニケーションを取り・・・・・・」
面接官「十分な(良好な)コミュニケーションとは、どういうレベルを言うのか、具体的に教えてください。また、そういうコミュニケーションを取るために、あなたはどうするつもりですか?」
新入社員B「患者の安全を第一に考えるモニターになりたいです。」
面接官「どのようにすれば患者の安全を第一に考えるモニターと言えるのですか?普段のモニタリングで、どうすれば患者の安全を考えることになるのでしょう?」
新入社員C「新薬を一日でも早く、患者さんの手に届けるようにモニターとして頑張りたい。」
面接官「あなたがどうすれば、その希望が実現すると思いますか? そのために、今日からできることは何ですか?」
・・・・・・etc.
結局、どんなに立派な理想、理念、ミッション、ビジョンを持っていても、そのために具体的な行動は何か、というところまで一人一人が自分なりにブレークダウンしないと、結局、「美辞麗句」を並べて終わり、ということになる。
そんなことを患者が許すわけが無い。
「それで、私のために、あなたは何をしてくれるの?」という患者の質問に答えるのがモニターの最低限の義務であり、礼儀だ(特に治験に参加してくださった創薬ボランティアに対しては)。
え?「自分は患者一人一人のために治験をしているのではない」ですか?
なるほど。では、誰のために治験をやっているのですか? 自分のため? 家族のため? 会社のため? 社会のため?
分かりました。もちろん、どんな理由でもいいのですが、では、そのために、具体的に、今日、あなたは何をするつもりですか?
一般論ではなく、具体論で考えてみましょう。