あなたが担当している治験の意義は?(一般論を具体論にブレイクダウ

新入社員の導入研修に一区切りがついて、ホッとしているホーライです。

ところで、その導入研修の仮免試験とでも言うべき「面接試験」の試験官をやった。
約2ヶ月の導入研修を終えた新入社員に対して、どの程度、GCPや治験、プロトコル等の知識があるか、モニターとしての心構えがきちんとできているか等を試験する。

この試験の時にも使った質問事項ですが、「あなたが担当している治験を行うことの意義は何ですか?」

新入社員であれば、治験そのものの意義は、まぁ、答えられるが、もっと具体的に「自分が担当するプロジェクト(プロダクト)の治験を行う意義」となると、なかなか難しい。

担当する治験薬の存在意義はなんだろう?
その中で、今回、自分が担当するこのプロトコルで行う治験をやる意義は?

いかがでしょう?

人は、自分の存在意義もよく考えます。「自分がこの会社で存在する、働く意義は? そもそも、この会社での存在理由は?」とかですね。
それと同様です。


さて、一つのプロトコルであっても長い治験ですと、治験期間が3年位になります。
これだけの長さになると、その間に治験が進まないとか、CRFの回収が進まないとか、SDVだけでまるまる1週間が埋まるとか、かなり辛いことや、困難を壁にぶち当たることや、極めて多忙になることがあります。
そんな時に頭をよぎるのが「なんで、こんなに忙しいの?」とか「え〜〜い!もう辞めてやる!」とかです。(よぎらない?僕だけ?)

この時に、考えないといけないのが「“この”プロトコルの治験を行う意義」と「“この”治験薬の社会的意義や医学的意義」です。

一般的な治験の意義は「新薬を一日でも世に出し、一人でも多くの患者さんの病苦を救うこと」等と考えるのですが、それだけでは、モニター業務(あるいはCRC業務、治験責任医師業務、信頼性調査業務)は勤まりません。

今、まさに、この手に持っているプロトコルの治験の意義という具体的なところまでブレイクダウンしないと仕事には使えません。
(もちろん、一般的な治験の意義も自分なりに考えないといけないのですが。)



また、新入社員の面接試験で「どういうモニターになりたいか?」と質問すると「医師やCRCとの信頼関係を構築して、治験の質とスピードを向上させるモニターになりたい」等と答えます。
もちろん、これはこれで正しい答えですが、これでは仕事に生かせません。

「では、医師やCRCとの信頼関係を構築するとは、どういうことですか? 具体的にはどのような方法で信頼関係を構築するつもりですか? それがどう治験の質とスピードに結びつくのですか?」と試験官の僕は質問することになる。

さらに続く。

新入社員A「医師やCRCと十分な(良好な)コミュニケーションを取り・・・・・・」
面接官「十分な(良好な)コミュニケーションとは、どういうレベルを言うのか、具体的に教えてください。また、そういうコミュニケーションを取るために、あなたはどうするつもりですか?」


新入社員B「患者の安全を第一に考えるモニターになりたいです。」
面接官「どのようにすれば患者の安全を第一に考えるモニターと言えるのですか?普段のモニタリングで、どうすれば患者の安全を考えることになるのでしょう?」


新入社員C「新薬を一日でも早く、患者さんの手に届けるようにモニターとして頑張りたい。」
面接官「あなたがどうすれば、その希望が実現すると思いますか? そのために、今日からできることは何ですか?」

・・・・・・etc.



結局、どんなに立派な理想、理念、ミッション、ビジョンを持っていても、そのために具体的な行動は何か、というところまで一人一人が自分なりにブレークダウンしないと、結局、「美辞麗句」を並べて終わり、ということになる。

そんなことを患者が許すわけが無い。

「それで、私のために、あなたは何をしてくれるの?」という患者の質問に答えるのがモニターの最低限の義務であり、礼儀だ(特に治験に参加してくださった創薬ボランティアに対しては)。

え?「自分は患者一人一人のために治験をしているのではない」ですか?

なるほど。では、誰のために治験をやっているのですか? 自分のため? 家族のため? 会社のため? 社会のため?

分かりました。もちろん、どんな理由でもいいのですが、では、そのために、具体的に、今日、あなたは何をするつもりですか?

一般論ではなく、具体論で考えてみましょう。





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臨床試験、治験を考える「医薬品ができるまで」