患者をあきらめない治験

長いこと治験の業界に足を突っ込んでいると(と言っても、たかだが10年程度だが)、「あの新薬はまだ出ないの?」とか「あの治験はどうなったんだろう?」とか「期待されていたあの新薬の開発はどうなっている?」という話を聴く。
実は僕も個人的に期待していた新薬がまだ市場に出ていない(製造販売の承認が取れていない)。
噂によると、また治験をやり直している(か、追加の試験をやっている)らしい。

一患者の立場で言わせてもらうと「何、やってんの?」だ。
その治験薬は当初の予定ではとっくに市販されていてもおかしくない。
何しろ、フェーズ3の創薬ボランティアの募集を新聞等で募集していたのが、もう、今から7年前。
海外では既に市販され、この分野では最もポピュラーの薬になっているのに、日本では、まだ治験をやっている状態。
しかも、ひょっとしたら、その治験だってうまく行くかどうか分からず、下手したら日本での開発を諦める可能性だってある。

一時、僕はこの期待していた薬を個人輸入アメリカから購入して使っていた(効果はもちろん有った)。
その後、この薬と似た薬理メカニズムを持つ別の薬が先に日本で販売されたので、今は、そちらを保険適応で使用している。


こういうのがタイムラグに苦しむ患者の気持ち、経済的不安なんだと思う。

今ではインターネットで自分の病気の最新の治療方法を調べることができる。
でも、そこにこんなことが書かれているとがっかりする。
「海外では●●●が標準的に使用されているが、日本ではまだ承認されていない。」

しかし、患者はそんなことで病気との闘い(或いは共存)を諦めるわけにはいかな。
ましてや、患者が本人ではなく、自分の子どもなら、なおさらだ。

患者は新薬が出てくることに希望をつないで生きている。
患者は決して、その新薬の治験を諦めない。

でも、製薬会社は治験を途中で諦めることもある。
新薬開発を中止するのは、製薬会社にとっても大きな痛手だが、諸々の事情で(最も大きな理由は有効性が証明できなかったり、安全性に問題が有ったりした場合)、期待の新薬を諦める。

有効性や安全性に問題が有るなら仕方がないが、治験のやり方がまずかったり、GCP不遵守が多かったりして、再度、治験をやり直すことになり、これ以上は経済的にやっていけない、という理由では諦めて欲しくない。

正直な話、僕がこれまで関係してきた治験薬でも、数年前に治験を行い、その時は有効性を証明できず、しばらくお蔵入りしていたものが、やおら蔵から取り出され、もう一度、開発を始める、という例が少なくない。
(この手の話は外資系に多い。たとえば海外では既にドル箱に近いくらい使用されているのに、日本でやった治験では有効性を証明できなかった場合などが、この例にあたる。)

この業界の人間として、この手の話を聞くと心が痛む(少なくとも、いい感じはしない)。
その新薬の出番を諦めていない患者がいる限り、僕たちはそう簡単に治験を諦めてはいけない。
僕は今でも、前述した新薬の承認を待っている。決して諦めてはいない。

僕たちが治験を行う時は、患者を諦めてはいけないのだ。


市場主義、自由競争経済の中で生きている製薬業界だから、利益の確保は重要だ。次の新薬開発のためにも資金がいる。
しかし、他の業界と違い、ただ利益優先だと困る。

製薬業界の各種会社のホームページを見るといい。
そこには各社のビジョン、ミッション、使命、理念など等が記載されている。
たいてい「患者のために」の言葉が入っている。

この言葉が単なる言葉だけで終わらないことを、一患者として祈っている(祈るしかできないところが患者の最も辛くて歯がゆいところだ)。



架空(仮想)の製薬会社「ホーライ製薬」


臨床試験、治験を考える「医薬品ができるまで」