部下のやる気は上司次第 (1)

企業はそこで働く従業員は、つまり「人」によって構成されています。
どんなに優れた戦略をコンサルティング会社に描かせても、どんなに費用を莫大に使っていても、それを実際に有効なものに仕立てていくのは、現場の従業員です。
そして彼ら・彼女らの中に「完遂の意思」や「改善の意欲」つまり高いモチベーションがなければ、どのような経営努力もそのコストに見合った成果につながりません。

確かに、つい最近まで、まるでIT革命こそがバラ色の将来を実現する救世主であるかのごとく論じられるムキもありました。
しかし、現在では多くの経営者がそのことが単なる幻想であったことを認めています。

企業にとって激しい市場競争を勝ち抜くための最も重要な経営テーマが従業員のモチベーションであること、そしてそのモチベーションをいかに「顧客満足度」の最大化に結びつけるか、この点に尽きます。
では、どうすれば従業員のモチベーションを高めることができるのでしょうか?

「期待理論」によると、モチベーションの高さは「目標の魅力度」X「達成の可能性」によって決まります。

現在、様々な企業で深刻なモチベーション・クライシスが発生しています。
これほど、働く人の「意欲」「やる気」が減衰している時代は過去に例がありません。
何故なら、価値観が多様化する中で、必ずしもおカネとポストが万人にとって魅力的な目標ではなくなったからです。

そこで注目されるのが、「モチベーション・クリエーター」の存在です。
これからは「モチベーション・マネジメント」が必要です。




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●治験のあり方を考える(9)最近の治験活性化活動

昨年、「新たな治験活性化5ヵ年計画」が公表された。
また、厚生労働省のその他の活動としても「治験のあり方検討会」「有効で安全な医薬品を迅速に提供するための検討会」などがある。

これらの成果としていくつかのことが既に現れてきた。

例えば「治験拠点病院」「治験中核病院」が選定され、その期待される機能が特定され、実際に活動が始まった。

必須文書が見直され、整理統合された。

治験の依頼等に係る書式が統一された。( http://www.jmacct.med.or.jp/plan/format.html )

GCPが改正され、外部IRBを普通に利用できるようになった。

治験、臨床試験のデータベースを検索できるサイトがリリースされた。( http://rctportal.niph.go.jp/ )

多くの所で国際共同治験に関するセミナーや講演会が開催された。

・・・・・・etc

これらのことをまず評価しよう。
決して、十分に満足できるわけではないが、それでも前進は前進だ。
そして、自分でできることを考えよう。
僕ができることは、一人でも多くの優秀なモニターを育てることだ。

あなたにできることは何ですか?

●治験のあり方を考える(8)オーバークォリティー問題を考える

昨年、治験業界の界隈で話題になったこととして「オーバークォリティー」がある。
これは「え!そこまでやるの?」的、書類上の問題だ。
CRFへの医師のコメントの過剰なまでの求め方や治験関連の書類、必須文書関連の書類の残し方などを過剰にすることを一般的に指している。

この現象を当局は「オーバーリアクション」ではないかと言ったが、まさしく、そのとおりだ。

では、その「オーバーリアクション」の原因はどこあるのか?


そもそもこの「オーバーリアクション」としての「オーバークォリティー」はどのようにして発生するのか?

まず、書面調査、実地調査が行われる。
そこで当局の調査官が単純な疑問、感想を述べることがある。
それに対して申請者(=治験依頼者)が、過剰に反応して(オーバーリアクション)、「すわ、これは大変だ!こんなことまで調査で要求されるぞ!」と安直に反応してしまう。
すると、「今度から、この記録もこういうふうに残しておかないといけない。あの書類も、この書類も全部残しておこう!」などとなってしまう(オーバークォリティー)。

そして、この話が業界の「信頼性調査報告会」などで報告され、それが背景などもほとんど考えずに、どういう流れで調査官が発言したのか、ということにもおかまいなしに、業界全体に広まる。
こうなると、どこの製薬会社(CRO含む)も「あの会社が受けた調査でここまで調査官が調べたらしいから、医師にはここまでコメントを書いてもらわないといけない。」と連鎖反応的にオーバークォリティーが始まる。

この現象の原因は「自分で考えない」「お上が言うことが全てだ」的な治験依頼者の態度にある。
だから、逆に病院側の対応で疑問点が有っても「前回の当局の調査では何も指摘されませんでした」と言われると、そのまま鵜呑みにするという現象も起こる。

これらの現象を止めるためには、まず「自分で考える」というビジネスの基本に戻りことだ。
GCPだって、常識の範囲内で出来ているのだから、当局のおかしな質問に対しては「それはおかしい」ときちんと言うべきなのだ。

そこから始めようではないか。

●治験のあり方を考える(7)日本の治験の促進方法(4)

僕が治験を行う医師に求めているのは「『新薬を世の中に出す』ことにモチベーションを感じて没頭してもらう」ことだが、そうなると、「なんだよ!製薬会社は金儲けするために治験をやっているのに、医師のほうにだけそんなことを求めるのか?!」と突っ込まれること、間違いない。

もちろん、僕は治験依頼者である製薬会社にも同様のことを求める。
と言うか、実は製薬会社の開発を担当している人は、それぐらい(没頭するぐらい)でないと治験を成功に導けない。

新薬を開発するということは、それだけ難儀なことなのだ。(少なくとも僕は経験上、そう断言する。)

結局、日本の治験を促進する方法は厚生労働省などのお上頼りになるのではなく(もちろん、行政指導のほうがうまくいくのもあるが)、治験に関与している人のどれだけのひとが「その治験」に没頭しているか、そして日本の治験環境を良くしたいと自らの頭で考えているかにかかっていると思うのだ。
日本の治験がどうなったら「良い治験環境」と言えるのかは、それはもうひとえに創薬ボランティアの人権、安全、福祉の保護のもとに、治験の科学的な質と成績の信頼性を確保しつつ、スピードも遅くないということ。

海外との時間差も無く、画期的な新薬が日本で使えるようになる、そんな日本の医療現場を支えるために新開発ができるようになること、そんな環境が「より良い治験環境」と言えるのではないだろうか。
そんな環境になるにはどうしたらいいのか、それをガンガンと知恵と行動力で試していく、それが僕の理想とする「治験のあり方にまつわる個人のあり方」だ。

あなたが、考えていることは(多分)正しい。だから、まずは怖れることなく、試してみよう!

●治験のあり方を考える(6)日本の治験の促進方法(3)

「治験の意義」はもちろん、新薬を世の中に出すためのデータ収集である(安全性も含めて)。
治験の意義は、この一点につきる。(ただし、「治験“参加”の意義」は患者個人、一人ひとりによって違ってくるだろう。それはそれで無論、問題無い。)
この治験の意義を理解して頂くことが医師側にも患者側にも必要だ。

思うに医師が治験に積極的になって頂くためのインセンティブ、モチベーションはこの「新薬を世の中に出す」ことに没頭して頂くということしか、結局、ないのではないだろうか。
「金銭のために」治験をやってもらう医師の気持ちも否定はしないが、それは「危うい」かつ「脆い」インセンティブだ。
金銭のために治験のデータを捏造するなんてことは絶対にやってはいけないことだ。そんなことにもなりかねない。
それよりも「新薬を世の中に出す」ことにモチベーションを感じて没頭してもらったほうが健全だ。

ところでデータ捏造で思い出したが、製薬会社のひとたちは「マスコミによる治験のダーティーなイメージ作り」を口にすることがあるが、これは恥ずかしいことなのでやめよう!(自戒も込めて。)
何故、恥ずかしいかというと「マスコミによる治験のイメージ」以上のことを製薬業界はやっていませんよ、と宣伝しているようなものだからだ。そして、それは残念ながら事実だ。
もし、マスコミによる治験のネガティブなイメージが治験の促進に本当に影響していると思うなら、マスコミ以上に製薬業界は治験の意義を正しく伝えるよう努力するべきなのだ。


架空(仮想)の製薬会社「ホーライ製薬」

臨床試験、治験を考える「医薬品ができるまで」

●治験のあり方を考える(5)日本の治験の促進方法(2)

治験が開始される場面は、まず医師が患者に治験に参加する意思がないか、打診するところから始まる。
だから、どれだけ医師が患者に治験参加について打診したか、に治験促進はかかっている(と言うことは、医師と患者の間に立つCRCにも最終的には治験促進はかかっている)。


日本において治験が進まない理由のひとつとして「治験を行う医師にインセンティブが無い」ことがあげられている。
たとえば、治験に関連した論文は学術的意義が低いとか、苦労の割には金銭的に報われない(特に公務委員の場合)、日常診療が忙しすぎるなどなどの理由だ。


また、患者側としても「治験に参加する意義」がほとんど感じられないということもある。
ただし、実際に治験に参加した患者のアンケート結果によれば、実際に治験に参加して良かった、という答えが多い。
その理由は「社会に役立つから」とか「診察時間が長く、濃くなったから」などがある。
とは言っても、患者全体(僕を含めて)から見れば、これらの意見はまだ少数意見であろう。



逆に「何故、治験に参加しないのか」というアンケート結果からは「不安だから」が圧倒的に多い。
確かに不安だ。
既に治療薬がほかに有るのなら、なにもわざわざ効果や安全性のデータが少ない治験薬を使って欲しくない、と思うのは患者としては当然だろう。

そこで、医師に対しても患者に対しても参加しなくてもいい当然の状況を乗り越えてもらうためには「治験の意義」への理解が何と言っても重要となる。

もちろん、治験の意義に理解を示されたからといって患者には治験に参加する義務が生じない。
しかし、治験への理解無しに治験参加の意義を見出すことは、今のところ少ない。(他に治療薬が無いなら話は別だが。)

それでは「治験の意義」とは何であろうか?



架空(仮想)の製薬会社「ホーライ製薬」

臨床試験、治験を考える「医薬品ができるまで」

●治験のあり方を考える(4)日本の治験の促進方法

各製薬会社、治験依頼者は少しでも治験を促進させるために様々な方法をこれまでにも取っている。
例えば、新聞や折込広告、インターネットのウェブサイトなどに「創薬ボランティア募集」の案内を出す。
これは僕の経験から言って、それなりの効果がある(と言っても、あくまでも「それなり」であり「絶大な」効果ではない)。

治験実施医療機関、病院、クリニックでは院内で「創薬ボランティア募集」のポスターを貼ったり、自分のところのウェブサイトに募集案内を出してもいる。
これも、それなりの効果がある。

いずれも「それなりの効果」なのだが、では、「絶大な効果」が出る方法が有るのだろうか?

はっきり言って、決定打は無い。
何故なら、治験の進みが遅いという現象の原因が複雑に絡み合いながら数多くあるからだ。

でも、治験の促進に直接的な影響を及ぼす因子は2つに絞られる。
それは「患者」と「医師」だ。
治験はこの2つの因子が相互に絡み合いながら進んでいく。
治験が開始される場面は、まず医師が患者に治験に参加する意思がないか、打診するところから始まる。