GCPを学問にしないこと
先日、友人と話していたら、その友人から出てきた言葉に感心した。
それは「GCPを学問にしている人がいる。でも、GCPは学問じゃない!」
なるほど、と思った。 まさに!と大きく同意した。
GCPは法律なので、言葉遣いが難解で、シチ面倒くさく、硬い文章になっている。
また、GCPの重箱の隅を突くような解釈を討論することもできる。
例えばこうだ。
「実施医療機関等設置治験審査委員会」と「実施医療機関等設置治験審査委員会等」ではどこが違うか?
最初の言葉では途中で「等」という文字が入り、次の言葉ではさらに文の最後に「等」が入っている。
(この2つの言葉がGCPのどこに書いてあるかは、ここでは敢えて触れない。みなさんも探してみてください。まるで『ウォーリーを探せ!(ウォーリーをさがせ!きえた名画だいそうさく!
)』みたいで10分は楽しめます。)
クイズの答えは(クイズじゃないけれど)、どうってことがないので、どうでもいいのですが、こういう楽しみ方もできるGCPなのだ。
でも、GCPは学問ではなく、使うものなのだ。
僕たちが携わっている「治験」を遂行する時にガイドラインとして存在するのがGCPだ。
創薬ボランティアの人権、安全、福祉の保護のもと、治験のデータの科学的な質と信頼性を確保するためにだけ、GCPは存在する。
そのGCPの解釈のための解釈ばかりやっていても、何も始まらないし、そんなことをやっていても、治験は一歩も進まない。
「オーバークォリティ」に「オーバーリアクション」、そんな言葉が出てきただけでも、今まで、いかに僕たちはGCPに振り回されてきたかが分かる。
(いや、GCPに罪はない。振り回したのは僕たち治験依頼者、治験実施者、当局という人間のほうだ。)
GCPを学問にしてはいけない。GCPを使って治験を遂行するのが先決だ。(それだけのためにGCPは存在している。)
僕たちは「実践してナンボ」の新薬開発業務を生業にしているのであって、GCPの解釈のためだけの解釈で時間を費やしていい業界にいるわけではない。
GCPの先には新薬を待ち望んでいる患者がいることを忘れてはいけない。
吐き気で苦しんでいる患者にとって、どこに「等」の漢字がついていようとどうでもいいことなのだ。
一刻でも早く、自分の吐き気を止めてくれる薬が世の中に出てくることだけが患者の望みなのだ。
ときどき、立ち止まって、自分たちが何をやっているのか、考えてみるのもいいことだ。
時間が貴重なのは患者だけでなく、僕たちだって同じはずなのだから。
■今週のテーマは「モニター面接試験を受ける」です。
ラディッツ赤木「え!僕がモニターの面接試験を受けるんですか?」
有馬街道「そうみたいだね。デーモン部長がやるって。」
ラディッツ赤木「うち、CROじゃないですよね?」
バカボン「まぁ、堅いことを言わないでやってみましょうよ。自分の知識のたな卸しにもなるよ。」
ラディッツ赤木「そうですね、やってみます。」
デーモン部長「おはよう!お、みんなもいるじゃないか。全員でラディッツ赤木君の面接試験をやってあげよう。」
ラディッツ赤木「やって、あげよう、なんですね。」
デーモン部長「そうじゃ。合格しても何も出んからな。」
ラディッツ赤木「はいはい。じゃ、どうぞ。」
【あなたがモニターに成りたいと思う理由。モニタリングでは何に重点を置いているか。】
小桑院「じゃ、まず何故、モニターに成りたいと思ったの?」
ラディッツ赤木「新薬の開発に欠かせないのが治験で、その治験に欠かせないのがモニターです。僕は新薬の開発を通じて社会に貢献できる仕事として、モニターを選びました。」
さくら「じゃ、普段、何にポイントを置いてモニタリングをやっていますか?」
ラディッツ赤木「そうですね。。。。月並みですが、やっぱり治験がGCPやプロトコルを守って行われているかを一番気をつけます。それとスピードですね。」
博多小町「では、治験がGCPやプロトコルを守っていることをどう確認するの?」
ラディッツ赤木「え〜〜と、GCPはそもそも治験が創薬ボランティアの人権、安全、福祉の保護を確保するようにできていますから、それに従って確認します。」
カルシファー「具体的には?」
ラディッツ赤木「例えば創薬ボランティアの安全を確保するためには、まず、プロトコルの選択基準、除外基準が守られているかを確認します。」
かぐや姫「それは何故?」
ラディッツ赤木「除外基準は、安全性を考慮して決められています。例えば妊娠の可能性のある女性や、重度な心臓疾患、肝臓疾患の患者さんは治験に参加されないよう求めているわけですから、それらが守られているかどうかを確認することが創薬ボランティアの安全性の確保に津繋がります。」
百年の孤独「他には?」
ラディッツ赤木「検査がプロトコルどおりに実施されているかを確認します。」
Atsu-4「そうだね、それは基本だね。他は?」
ラディッツ赤木「他の病院や他の診療科にかかっていないかを確認ですね。」
まきろん「それはどうして?」
ラディッツ赤木「もし治験参加時に他の病院や他の診療科にかかっていたら、除外基準に抵触する既往歴や合併症でないかを治験責任医師・治験分担医師に確認してもらいます。」
フラワー「それから?」
ラディッツ赤木「どんな薬が使用されているかも調べてもらいます。これは治験薬との併用禁止の可能性があります。これも安全性の観点から重要です。」
ヨ−イチ「もっと理由はある?」
ラディッツ赤木「治験の途中で他の病院や診療科にかかり始めたら、同様に症状やどんな薬が使われているかを確認します。」
まひな「その場合の注意点は?」
ラディッツ赤木「他の病院に治験責任医師・治験分担医師が連絡するときは、あらかじめ創薬ボランティアの同意が必要です。」
トトロ「そうだね。ほかには?」
ラディッツ赤木「治験途中で他の病院にかかったということは、有害事象が発生している可能性もあるので、その場合はCRFに記載してもらい、因果関係を医師に判断してもらいます。」
【担当しているプロトコルのポイントは?】
ゆーり「ところで、今、担当しているプロトコルのポイントは?」
ラディッツ赤木「う〜〜ん、治験の質という観点では、除外基準が多いのでそれをいかに守ってもらえるかどうかですね。」
みかん「スピードという観点では?」
ラディッツ赤木「今回はプラセボも入ったダブルブラインド試験です。プラセボが入っている治験はなかなか患者さんから同意を得られないので、その点に苦労しています。」
港野陽子「それらを解決する方法は?」
ラディッツ赤木「まず、除外基準を守ってもらうことですが、今回、フローチャートを作りました。」
パピヨン750「へー、どんなの?」
ラディッツ赤木「除外基準と検査項目を組み合わせて、一個ずつ確認するチェックシートを兼ねています。」
ぼつ「それは便利だね。」
ラディッツ赤木「そして、最後にここをチェックすると、自動的に識別コードが出てきます。」
のん「あら、意外とハイテクじゃん。」
【治験のスピードを確保する方法は?】
薬師寺「では、治験のスピードを確保する方法は?」
ラディッツ赤木「今回のプロトコルではプラセボ使用がネックになっているので、治験の意義や患者さんがこの治験に参加して、途中で辞めたくなったら、いつでも辞められることを強調してもらっています。」
ヨコタテ「他には?」
ラディッツ赤木「創薬ボランティアの協力者そのものを多くしたいので院内にポスターを貼らせてもらっています。」
織姫「もっとある?」
ラディッツ赤木「病院の方に協力してもらい、創薬ボランティアの方は診察を優先的に早くしてもらうよう、どこの病院でもかけあってみます。」
みたらし大福「それで、結果はどれくらい?」
ラディッツ赤木「まぁまぁですね。半分はOKを貰っています。」
なつき「もっともっとある?」
ラディッツ赤木「ええ。今まで治験が行われていない地域を新規開拓しています。」
やまちゃん「へ〜〜!例えば?」
ラディッツ赤木「ある島では今までに治験が行われていないことに目をつけ、その島で治験ができるようにSMOと協力して開拓しました。」
ゆみぴー「メリットはあるの?」
ラディッツ赤木「競合他社がいないこと。」
やなか爺「それは大きいな。似たような薬だとライバル会社との競争になるから。」
デーモン部長「なるほどね。ところでわしのブルーマウンテンもいいぞ。」(EXCELLENT COFFEE)
新薬開発における『イノベーション25』
先日、『イノベーション25』の最終案がまとまった。
その中に下記の記述がある。
★イノベーションの創出・促進に関する政策は、国民一人ひとりの自由な発想と意欲的・挑戦的な取組を支援する「環境整備型」へと考え方を大きく転換していかねばならない。
長期戦略指針『イノベーション25』は、2025年までを視野に入れ、豊かで希望に溢れる日本の未来をどのように実現していくか、そのための研究開発、社会制度の改革、人材の育成等短期、中長期にわたって取り組むべき政策を示したものである。
イノベーションとは、技術の革新にとどまらず、これまでとは全く違った新たな考え方、仕組みを取り入れて、新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすことである。
このためには、従来の発想、仕組みの延長線上での取組では不十分であるとともに、基盤となる人の能力が最大限に発揮できる環境づくりが最も大切であるといっても過言ではない。
そして、政府の取組のみならず、民間部門の取組、更には国民一人ひとりの価値観の大転換も必要となる。
したがって、イノベーションの創出・促進に関する政策は、従来の政府主導による「個別産業育成型」、「政府牽引型」から、国民一人ひとりの自由な発想と意欲的・挑戦的な取組を支援する「環境整備型」へと考え方を大きく転換していかねばならない。
★『イノベーション25』の基本的な考え方
長期戦略指針『イノベーション25』では、その特質を踏まえ、以下の5点を基本的な考え方とした。
1.未来に向けての高い目標設定と挑戦
2.グローバル化と情報化の進展への的確な対応
3.生活者の視点の重視
4.多様性を備えた変化と可能性に富む社会への変革
5.「出る杭」を伸ばす等人材育成が最重要
では、ここで、上の5つの基本的な考え方を製薬業界にあてはめて考えてみよう。
「1.未来に向けての高い目標設定と挑戦」
医薬品開発は常に「未来」に向かって挑戦し続けている。
しかし世界的な大企業でも新薬の「種」は尽きることもあり、現在は、ベンチャー企業が、その間隙を縫って活躍している、という状況だ。
これからの20年間は、今以上にベンチャー企業が頑張ることだろう。
大企業は、そういった特色あるベンチャーとの提携により(あるいは吸収合併により)、新薬の種を手中の納めるか、種だけを導入するという路線が進むはずだ。
じゃ、大企業は自らが高い目標を掲げて挑戦しなくてもいいかというと、もちろん、そんなことは無い。
せっかくベンチャーから導入した新薬もいつかは特許が切れるし、自社開発製品が出ないと、自社の研究所の「腕が鈍る」。
20年前はベンチャーだった「アムジェン」は、もはやベンチャーとは言えず、立派な大企業になった。
そのうちにベンチャー企業も他のベンチャー企業を頼るようになり、やがてはベンチャー同士の合併などが出てきて、新たな挑戦者がまたこの「新薬開発競争」に参戦するようになるだろう。
以上より「1.未来に向けての高い目標設定と挑戦」は、『イノベーション25』で言われるまでもなく、否が応でも製薬業界は常に目指すべきものである。
「2.グローバル化と情報化の進展への的確な対応」
『イノベーション25』の2番目の基本的考え方は、まさにたった今、我々が直面している課題だ。
グローバル化(新薬の世界同時開発)は、わずかながらも、その数を日本でも増やしてきた。
今後は中国やインド、台湾、韓国などのアジア勢の一員として、新薬の基礎から世界開発までを一手に担うエリアとなるだろう。
「情報化」と言う意味ではゲノム創薬、抗体医薬品など、複数のデータベースを有効に使いながらの基礎研究から応用研究を進める方向が定着している。
このような、言わば「新薬開発領域」という「閉じた」世界での「情報化」は進んでいるが、インターネットという「開いた」世界における「情報戦略」は、今のところ、あまり大きな成果が出ていない。
(ちなみに、先日、DNAのらせん構造を解明したワトソン博士のゲノム情報が一般に公開された。ある特定の個人のゲノムが公開されるとは、珍しい話だ。)
「3.生活者の視点の重視」
「生活者の視点」というくくりで言うならば「QOL向上」を目指した新薬の開発が数年前から加速されてきた。
「重病」とは言えないが、生活の質という立場で考えると本人にとっては「深刻な悩み」を解決するための薬だ。
今後は高齢者社会が加速度的に進むので、ますます、製剤的な工夫やDDS等の製剤化技術とともに基礎研究も[
生活者の視点に立って」進むことだろう。
「4.多様性を備えた変化と可能性に富む社会への変革」
新薬の開発は国際化して、世界同時開発になってきたとは言え、製薬会社そのものは、日本の場合、まだまだ多様性を持っているとは言えない。
もちろん、外資系の場合、会社のトップに外国人が多いが、一般的スタッフにはまだまだ受け入れが少ない。
僕の感覚ではアジア系の人たちが、最近、社内に多くなってきた、という会社が多い気がする。
いずれにしても、まずは、自分たちの世界を多様化させ、異質な文化同士がぶつかりあいながらブレークスルーを打ち出していく、というあたりを目指していけばいいな、と思っている。
「5.「出る杭」を伸ばす等人材育成が最重要」
さて、最後の項目はもっとも重要で、かつ、「う〜〜〜ん」的な問題だ。
ベンチャー企業はそもそも、会社自体が「出る杭」なので、その中で出る杭が自然発生的に育つ風土がある。
問題は「大企業」だ。
「僕の治験活性化計画」にも書いたが、製薬業界も歴史の長い、成熟産業だ(IT業界などに比べたら)。
ずいぶんと「一人ひとりの意識の中にある見えないタテの壁、そして大学、企業、府省等々どこの組織にもあるタテの壁」があると僕は思う。
また、これからの治験や新薬の世界同時開発を目指すとき、もっとも重要なことは「社会に存在する変化を拒む様々な壁と抵抗を撥ね退けてイノベーションを起こす」ことだ。
治験の活性化に頑張る製薬業界が目指すべき『イノベーション25』は10−20年を見据えれば、すべては人つくりなのである。
まぁ、これは製薬業界だけでなく全ての産業で言えることだけど、「人材」こそが「会社」なのだ。
もちろん、その人材に「あなた」が成って悪い理由はない。あなたこそが「人材」になるべきなのだ。
出世や報酬などを忘れて仕事に没頭することが好きな『ひときわ異彩を放つ“出る杭”』のあなたがた、皆さんが、これからの20年を創造していく主役であることだけは間違いない。
不正行為に関する個人と組織
■今週のテーマは「不正行為に関する個人と組織」です。
くりこ「最近、会社の社長がテレビの前で頭を下げている場面を見ることが多いわね。」
大黒「しかも、社会的に影響が大きい会社が多い。」
社長秘書「ところで、どうして不正行為や捏造や隠し事をするのかしらん?」
るみ子の酒「ひとつには安全性よりも利益優先や効率性優先ということがあるんだと思う。」
オチケン「じゃ、どうして利益優先、効率優先になるのだろう?」
十条「会社、組織が営利団体だからじゃない?」
JOYママ「そういう会社、組織に属していないなら、不正行為や捏造をしないかしらん?」
ぷか「個人にも名誉欲とか権利欲があるから、営利主義の会社に勤めていなかったとしてもデータの捏造ってあると思う。」
カッコ亀井「例えば科学者の例がそれだ。世界中の科学者がしのぎを削っている分野で一番に論文を公表したら、名声が上がる。」
MT「そうだわね。その名声や名誉につられて不正行為やデータ捏造をすることは考えられるわね。」
ぽちりん「自分が所属している組織が、もし、不正行為を行っていたらどうする?」
BECK「例えば、我々の場合、治験のデータを組織ぐるみ、あるいはごく一部の人間の手により捏造される、ということだね?」
ハレ〜「自分の良心に従って、その不正行為には加担しない、というのが最低限でしょう。」
ヨネヤマ「でも、会社の業績や自分が貰う給料のことを考えると、その不正行為を見て見ぬふりをすることも十分、考えられる。」
ちゃちゃ「上司から言われたら、断りきれない、ということもある。」
黒丸「一方においては、個人レベルでマニュアル違反やSOP違反をすることもある。」
フロリス「手続きが煩雑なので、勝手に簡略したりね。これも効率性優先になるかも。」
さら「その場合は、会社や組織が個人を摘発するかどうか、自浄作用の有無に関わってくるわ。」
不正行為の種類と原因
1.組織による不正行為・・・原因:利益優先、効率性優先
2.個人による不正行為・・・原因:名声、名誉欲、効率性優先
かずさ2号「組織ぐるみだろうが、個人によるものであろうが、不正行為を行うひとは、それが絶対にバレない(露呈しない)と思っている。」
みっちーK「最近は内部告発制度を採っている会社もあるわ。」
ピース「ネットの巨大掲示板サイトから問題が発覚する場合もある。」
フクちゃん「バレるからだめでバレないならいい、という話ではないけれどね。」
てぃん「不正は誰だってやっている、と思っているひともいるんじゃないかしら?」
澤田「だけど、それは不正行為を正当化する理由には絶対にならない。」
かき氷「どうしたら、健全な組織、個人になるのだろう?」
のの「ルールの厳格化。もちろん、ルールを厳格化するだけでは駄目で、しっかりと教育が必要なのは言うまでもないわよね。」
トモチカ「なぁなぁ主義や不正行為を許す風土の改革。」
ken2「風土改革の一環として、個人には徹底したコンプライアンス教育。」
吉野川 みなみ「組織に自分の人格まで依存するのはよくないわ。」
不正行為を無くす方法
1.組織による不正行為・・・ルールの厳格化、風土改革、意識改革
2.個人による不正行為・・・コンプライアンス教育の徹底。組織に依存しない自立した個の確立
さりさり「結局、まっとうに生きていけばいいのね。」
ZOO(ズー)「一時的には不利益だと思っても、長い目で見ればミスをミスとして認めたほうがいいんだ。」
デーモン部長「苦いからこそ、コーヒーはコーヒーなんじゃな。」(分かったようで、よー分からん! by ホーライ)
治験の『オーバークォリティ』を考える
先日、社内の研修で「今、オーバークォリティが治験の問題点として注目されている。」と発表したら(発表は僕ではなかった)、ある若手モニターからこんな質問が出た。
「日本の治験は質が低い、と言われているのに『オーバークォリティ』が問題というのはどういう意味ですか?」
なるほど、ごもっともな質問だ。
僕も以前、「モニターとCRCの勉強方法」(http://www.geocities.jp/cra_crc_study/)の中で、こんなことを書いたことがある。
===「モニターとCRCの勉強方法」からの抜粋 ===
日本の治験の質は低い。
この「治験の質」という言葉を書くと自動販売機のように「日本の治験の質は低い」という言葉が出てくるほどだ。
日本人気質から言うと、細かいことに気を使いそうだが、こと、治験に関してはそうはいかない。と言うかベクトルの向きがちょっと変だ。
何故か?(何故だろう?)
===========================
この「ベクトルの向きがちょっと変だ」がミソです。
「日本の治験の質は悪い」と言ったときの質というのは「プロトコルやGCPの遵守状況」や「データの信頼性」を指していることが多い(と僕は思っている)のですが、今、問題となっている「日本の治験の『オーバークォリティ』」というのは、どちらかというと手続き論的なものが多い(と僕は思っている)。
例えばGCPでは治験薬の管理責任は医療機関の長が担っており、管理を委託するときは治験薬管理者(原則、薬剤師)というのが記載されています。
すると、どうなるか?
ある会社では「治験薬の取り扱い手順書」を一度、医療機関の長に提出しないといけない、と決めているところもあります。
もちろん、GCPの条文を四角四面に解釈すれば、そうなのでしょうが、実際は病院長がそんな手順書を見るわけもなく、治験薬管理者に直接「治験薬取り扱い手順書」を提出した、とモニタリング報告書に記載されていても、僕は全然、問題ないと思っています。
しかし、それではだめで、一度は必ず病院長に提出すべきで、それがモニタリング報告書に記載されていないといけない、と考える方もいらっしゃいます。
「ベクトルの向きが違う」というのは、このあたりではないでしょうか?
僕はこのこと(治験薬取り扱い手順書を直接、治験薬管理者に渡すこと)が、創薬ボランティアの人権、安全、福祉の保護に影響するとは、どうしても、とうてい思われません。
むしろ、こんなこと(「医療機関の長」に提出するプロセスを必ずモニタリング報告書に書かないといけない、などということ)ばかりにモニターが気を使って、なおかつ、時間もとられて、汲々としてSDVが満足にできない、というほうが、ずっと創薬ボランティアの人権、安全、福祉の保護に影響を与え、ひいては新薬の上梓が遅れて、そのことで患者さんの苦しみが1日でも伸びることのほうが、非倫理的だと思います。
GCPの本質を考えていきたいところです。
また、企業と総合機構の担当官に間にヒエラルキーがあるのも『オーバークォリティ』の一因だと僕は見ています。
なにも、担当官が(人間ですから、もちろん、)常に正しいわけではなく、実地調査や書面調査で疑問に思ったことを口にも出すのは当然です。(僕だって口に出します。)
そんなときはその質問に答えればいいだけです。
かつて、僕がフランス系外資製薬会社にいたときに機構の担当官から「臨床監査部がR&Dの中にあることについて「監査の独立性」ということを踏まえて見解を述べよ」みたいな指摘(正式な紙での「疑義事項」として)されたことがあります。
そのとき、僕らが答えたのは監査部門が臨床部門と同じR&Dに所属していてもSOPできっちりとモニター部門との独立性を謳っており、事実、監査がモニリング業務を行うこともない」旨の回答書を出して、了解を得ました。
ところが、次の調査でも同様の指摘が紙できましたので、これまた、同様に答えました。
そして、次の調査では指摘される前にこちから説明しようと、実地調査の最初に「監査部門の独立性について」というセッションを設けたのですが、機構の担当官から「あ、それはもういいです」と言われました。
自分たちはこういう理由でGCP上、問題無いと考えるのならば、それを最初から貫くべきだと思います。
なにも、機構の担当官も新薬の開発の邪魔をしたくて仕事をしているわけではないはずです。
(社内のQC部門や監査部門もまたしかり。)
創薬ボランティアの人権、安全、福祉の保護のもと、治験データの科学的な質と信頼性を確保する、ということは何をどこまでやればいいのか、もう一度(機構や当局に頼ることなく)「自分の頭」で考えるべきではないでしょうか?
そして、その自分の頭で考えたことを正しく主張していきましょう。
社内的にも、社外的にも「自分の頭で考える」自立した社員になりたいものですね。
頼るな!
「新たな治験活性化5ヵ年計画」が発表され、また「革新的医薬品・医療機器創出のための5か年戦略」も出た。
「新たな治験活性化5ヵ年計画」について、ホーライ製薬のトップページで「期待しているかどうか」のアンケートもとっている。
僕はこれらの計画、戦略にとても期待を寄せているのだが、頼ってはいけないと思っている。
「危機感」を持つべきは行政よりも本人(製薬企業)だ。(言うまでもないが。)
制度がなっていないとか、GCPが非効率的だとか、それは分かるし、無駄だと思うことは是正もする必要があるだろう。
(ただし、どんなに無駄なように見えても創薬ボランティアの安全性を確保するためのものは、きちんと残す。)
創薬を促進するように税制面や薬価面で考慮してもらったり、大学等の基礎研究が速やかに応用されるような仕組みも必要だろう。
ただし、最後にものを言うのはやはり「自力」だ。
GCPの必須文書が今の3分の1になったところで、そうそう「画期的な新薬」が産まれるものではない。
自社のモニターの熱意が急に上がるわけでもない。(労力が減れば、ホッとはするが、それと熱意は関係無い。)
新薬が生まれる難くなった原因の一つとして、残された疾患はそもそも治療が難しい、ということがある。
抗体に関連する薬では思わぬ副作用が出る可能性もあり、ますます、創薬プロセスで、検討すべき項目は増えるだろう。
併せて、治験のデザインも複雑になり、モニターは事務作業は減るかもしれないが、モニタリング業務そのものはますます大変になることも予想される。
僕たちは「自立した産業界」にならないといけない。製薬業界は「護送船団」(古い言葉だが)に成り下がってはいけない。
いくら国際共同治験がやりやすくなったとしても、そもそも、その治験をやるべき「新薬の卵」が無いと始まらない。
そして、それは「自力」でなんとかしないといけないのだ。(他社と提携するなり、ベンチャーを買収するにしても、自らが決断し、自らが動かないといけない。)
「新たな治験活性化5ヵ年計画」に期待もするし、GCPが簡略化されモニターの事務手続きが減り、本来のモニタリング業務に専念できるようになれば、それは嬉しいし、好ましいことだと僕も思う。
でも、それと「頼る」か「自力でいくか」とは、また別の話だ。
あまたの組織にもいませんか? 物事がうまくいかないと、すぐに他人のせいにするひとが。
メールでの意外な楽しみ方
Toではなく、Ccでメールが来ることも多い。
質問メールの場合、基本的にはToに入っている人が答えるので、僕がCcの場合は、気楽である。
しかし、僕の仕事などにも非常に密接した内容である場合、僕が主の宛先(To)になく、ついでの宛先(Cc)になっていたとしても、考える。
「え!? こんなことを聞いてくる?」とか「う〜〜〜ん、これって、どう答えればいいの?」とか「げ〜〜!面倒なことを頼んでくるな。」とか考える。
ところが、ところが、そういうメールの主たる宛先(To)に入っている人が返信したメールの内容を読んで、さらに、2倍、3倍に驚くこともある(多い)。
「そ、そ、そんなことを聞いているんじゃないのでは?」とか「なるほど、そう答えるか」とか「いいのかな〜〜そんな返事を書いて」とか「それじゃ答になってないでしょ。」とか。
いや、勉強になる。
他のひとの仕事方法、仕事思考が分かって面白い。