治験の『オーバークォリティ』を考える

先日、社内の研修で「今、オーバークォリティが治験の問題点として注目されている。」と発表したら(発表は僕ではなかった)、ある若手モニターからこんな質問が出た。
「日本の治験は質が低い、と言われているのに『オーバークォリティ』が問題というのはどういう意味ですか?」

なるほど、ごもっともな質問だ。

僕も以前、「モニターとCRCの勉強方法」(http://www.geocities.jp/cra_crc_study/)の中で、こんなことを書いたことがある。


===「モニターとCRCの勉強方法」からの抜粋 ===

日本の治験の質は低い。
この「治験の質」という言葉を書くと自動販売機のように「日本の治験の質は低い」という言葉が出てくるほどだ。

日本人気質から言うと、細かいことに気を使いそうだが、こと、治験に関してはそうはいかない。と言うかベクトルの向きがちょっと変だ。

何故か?(何故だろう?)

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この「ベクトルの向きがちょっと変だ」がミソです。


「日本の治験の質は悪い」と言ったときの質というのは「プロトコルやGCPの遵守状況」や「データの信頼性」を指していることが多い(と僕は思っている)のですが、今、問題となっている「日本の治験の『オーバークォリティ』」というのは、どちらかというと手続き論的なものが多い(と僕は思っている)。

例えばGCPでは治験薬の管理責任は医療機関の長が担っており、管理を委託するときは治験薬管理者(原則、薬剤師)というのが記載されています。
すると、どうなるか?

ある会社では「治験薬の取り扱い手順書」を一度、医療機関の長に提出しないといけない、と決めているところもあります。
もちろん、GCPの条文を四角四面に解釈すれば、そうなのでしょうが、実際は病院長がそんな手順書を見るわけもなく、治験薬管理者に直接「治験薬取り扱い手順書」を提出した、とモニタリング報告書に記載されていても、僕は全然、問題ないと思っています。
しかし、それではだめで、一度は必ず病院長に提出すべきで、それがモニタリング報告書に記載されていないといけない、と考える方もいらっしゃいます。


「ベクトルの向きが違う」というのは、このあたりではないでしょうか?


僕はこのこと(治験薬取り扱い手順書を直接、治験薬管理者に渡すこと)が、創薬ボランティアの人権、安全、福祉の保護に影響するとは、どうしても、とうてい思われません。

むしろ、こんなこと(「医療機関の長」に提出するプロセスを必ずモニタリング報告書に書かないといけない、などということ)ばかりにモニターが気を使って、なおかつ、時間もとられて、汲々としてSDVが満足にできない、というほうが、ずっと創薬ボランティアの人権、安全、福祉の保護に影響を与え、ひいては新薬の上梓が遅れて、そのことで患者さんの苦しみが1日でも伸びることのほうが、非倫理的だと思います。

GCPの本質を考えていきたいところです。


また、企業と総合機構の担当官に間にヒエラルキーがあるのも『オーバークォリティ』の一因だと僕は見ています。

なにも、担当官が(人間ですから、もちろん、)常に正しいわけではなく、実地調査や書面調査で疑問に思ったことを口にも出すのは当然です。(僕だって口に出します。)

そんなときはその質問に答えればいいだけです。


かつて、僕がフランス系外資製薬会社にいたときに機構の担当官から「臨床監査部がR&Dの中にあることについて「監査の独立性」ということを踏まえて見解を述べよ」みたいな指摘(正式な紙での「疑義事項」として)されたことがあります。

そのとき、僕らが答えたのは監査部門が臨床部門と同じR&Dに所属していてもSOPできっちりとモニター部門との独立性を謳っており、事実、監査がモニリング業務を行うこともない」旨の回答書を出して、了解を得ました。
ところが、次の調査でも同様の指摘が紙できましたので、これまた、同様に答えました。
そして、次の調査では指摘される前にこちから説明しようと、実地調査の最初に「監査部門の独立性について」というセッションを設けたのですが、機構の担当官から「あ、それはもういいです」と言われました。

自分たちはこういう理由でGCP上、問題無いと考えるのならば、それを最初から貫くべきだと思います。


なにも、機構の担当官も新薬の開発の邪魔をしたくて仕事をしているわけではないはずです。
(社内のQC部門や監査部門もまたしかり。)


創薬ボランティアの人権、安全、福祉の保護のもと、治験データの科学的な質と信頼性を確保する、ということは何をどこまでやればいいのか、もう一度(機構や当局に頼ることなく)「自分の頭」で考えるべきではないでしょうか?

そして、その自分の頭で考えたことを正しく主張していきましょう。


社内的にも、社外的にも「自分の頭で考える」自立した社員になりたいものですね。