『感動』が原動力で『夢』が持続力

僕のハードボイルド・ワンダーランド日記、「感動」の秘めたるパワー(2004/08/15 (日) )にも書いたが、小学校、中学校(可能なら、さらに高校、大学も)「感動する授業」というのが、一番重要だと思う。
http://www4.diary.ne.jp/user/440820/

 
ますは感動して、そこにのめり込む。
しかし、これだけでは持続しない。

そこで、各種コンテストを行うという手を使う。

ピーター・フランクル数学オリンピックという目標が有ったからこそ、数学への興味が持続した。
また、今、まさに本物のオリンピックが開催されているが、必ず、選手はオリンピックでメダルを取るぞ、という目標を持っている。
だからこそ、苦しい努力や練習にも耐えられ、かつ持続するのだ。

最近では全国の高校生から“日本のアインシュタイン”を発掘する日本初のコンテスト「物理チャレンジ2005」が来年の夏、岡山県で開かれることになった。
アインシュタインが26歳で特殊相対論など革命的な3つの理論を発表した1905年から100年を迎えるのを記念し、日本物理学会などが企画したものだ。

このようなコンテストや大会というのは、各人の目標になる、つまり「優勝する」あるいは「メダルを取る」という「夢」になるわけだ。

「感動」で動き始めた心の波を「夢」が持続力を持たせる。

薬が劇的に効いて親や自分の病気が良くなり感動し、いつか自分でも世の中の役に立つ薬を作りたいという夢がその感動を持続させてくれる。
この手の話はよく聞く。

理科の授業は(理科に限らず)、まず感動を与え、そして全国規模で「夢」を与えてやればいいのではないか。

オリンピックの各種目もまた、直接、実生活に役立つわけではない。にも関わらず、多くの人がのめり込んで自らを追い込む位、努力する、さらにその努力を4年間も持続させる力を持っている。

感動や夢は僕たちの生きる、学ぶ、研究する原動力になりうる。というか、それしか無いのでは?(あとは使命感というのもあるか。)

学校の授業から感動や夢を除いたら、無味乾燥な時間だけしか残らない、と僕は思う。