たとえば数学の美しさ

ここでも以前、書いたかもしれないが「博士の愛した数式」(小川洋子著、新潮社)という小説が有る。

その小説の中には、数学の不思議と美しさが、さりげなくちりばめられている。
特にキーとなる「オイラーの公式」が異常に美しい。
人類の至宝とまで言われている公式だ。

それを新入社員に教えたところ、しばらくして「僕がやると、どうしてもこの公式が成立しないんですよ」と言って来た。

おもしろい新人N君だ。(読書の傾向や思考方法が、僕と結構、かぶるのだが。)

それにしてもだ、「オイラーの公式」を自分で解いてみるという精神が素晴らしい。
僕なら、絶対にやらない。

こういった無謀さが、年齢とともに僕から少しずつ逃げていくのが分かる。
そして、「若さ」とは「無謀」と同意義だとも思う。

あとは、その「無謀さ」を後押ししてあげる素晴らしい「師」がいればいいだけだ。

何かの役に立つかどうかはあとから考えればいい。
美しさ、そのものに意義がある。

誰が、ゴッホの絵に実用性を求めるだろう?
誰が、良寛の書に実用性を求めるだろう?

数学は、その美しさだけを残しても、歴史から消えることは有るまい。

フェルマーの最終定理」が解けたからと言って、世界中から戦争が無くならないように、宇宙の性質は人間の性質とは別の物なのだから。