【必要は発明の母か?】

「必要は発明の母」という言葉が有る。
確かに、そういう場合もあるだろう。

でも、エジソンが蓄音機を発明した時に「蓄音機」の必要性を考えていたのだろうか?
ソニーウォークマンを発明した(商品化した)黒木靖夫氏は「電車に乗りながら音楽を聴く必要性」を感じていたのだろうか?
実生活に役立つと思ったのだろうか?

僕は、どちらも無かったと思う。
二人とも、おもしろがったに違いない。
「こんなものが有ったら、面白いに違いない。」と思っただけだ。

きっと発明は多くの「面白がり屋」や「なんだかしらんけど、作りたがり屋」がやったのだと思う。

子どもの頃は、誰でも「不思議がり屋」で「壊したがり屋」だ。
ラジオや時計を分解したり、また組み立て直したり、壊したり。
歯車やネジや釘や磁石を意味無く集めたり。
野原では秘密基地を作ったり。
オママゴトでは想像上のごはんを作ったり。(想像上の子どもまで作ったり!)


そして、いつか、僕たちは「いい子」になってしまう。


「ハードボイルド・ワンダーランド日記」にも書いたが、数学者兼大道芸人ピーター・フランクルがこう言っている。

「日本人の独創性を高める方法? 簡単です。独創性を壊さないことです。どこの国の赤ちゃんも最初は同じ。ところが、日本では幼稚園に入る頃から、他人と同じ様に行動、思考することを強いる。それを止めることです。」

そういうことなんだろうか?