国境を考える(その2)
さっきまで、国境について考えていた。
下の日記の2月29日「土地に柵する馬鹿がいる」(国境を考える その1)
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http://www2.diary.ne.jp/user/170266/
それをまだ考えている。
国境が無くなったら困るだろうか?
とりあえず、ネットの中には国境は無い。
あるのは言語の壁だけだ。
人類が国境を思いついたのはいつなのだろうか?
どうして、そんなのが必要になったのだろ?
最初はきっと「食料の縄張り」みたいなもんだったんだろうな。
そのうち「同じ言語」を使う仲間みたいなのができてきて、宗教なんぞがお出ましになって、と。
おいしい物を取り合ったり、女を(或いは男を)取り合ったり、そうこうしているうちに「貨幣」ができてきて、それが使える場所とそうでない場所が生まれて。
で、神様が昼寝して起きてみたら、とんでもない数の国が生まれていて、勝手に地面に線をひいたりして。
線のむこうとこっちでは、言葉が通じなかったり、お祈りの言葉が違ったりして。
陽気な人たちとそうでない人たちが自然に分類されてきて。
自分が把握できないほどの「縄張り」を持って、何の意味があるのかも考えず。
経済とか、民主主義というようなもんまで発明しているかと思うと、同類で殺しあいまで始めてしまっていた。
そこへ持ってきて、国境なんかお構い無しにネットが繋がり、ロケットが飛び交い、野鳥が病気を広げてきた。
まだ国境って、意味があるものなの? 何か、働きをもっているの?
国境を持っているのと、国境を無くしちまった場合はどちらが便利なの?
音楽や絵画、芸術には国境は無くて、科学には世界共通の言語があり、何不自由があろうか。
逆に国によって、1+1の答えが違うと、宇宙まで混乱しちまう。
で、土地に柵して、誰が喜んでいるの? 誰が儲けているの?
少なくとも、僕じゃないみたいだな。