『異端児』であるということ

スタンリー・プルシナー博士という人がいる。

ここの日記(http://d.hatena.ne.jp/horai/20040213 )に取り上げた科学者で、BSEの原因物質プリオンの発見者である。

彼は、人の狂牛病といわれる新変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の要因とされるプリオンの発見により1997年にノーベル生理学医学賞を単独受賞している。

しかし、スタンリー・プルシナーは研究途上では異端児とされていたらしい。

僕は、それから『異端児』と呼ばれた「人たち」について、数日、考えてみた。
それと、たまたま、先日から読み始めた『科学の大発見はなぜ生まれたか』(ヨセフ・アガシ著 立花希一訳 講談社ブルーバックス)でも、コペルニクスが『異端児』扱いされていたということを読んだことも影響して、とにかく『異端児』について考えたわけだ。

『異端児』って、その時代の『常識』に反旗を翻している人を言うと思う。(その他にも「変わり者」とかね。)


プルシナー博士も、コペルニクスも異端児だ。
アインシュタインも、「空間が曲がる」とか「時間は絶対的なものではない」なんてことを言って、当初は物理学会の異端児だった。


ここで、話を大きく変えて、「世界を変える」・「科学を進歩させる」ということはどういうことかを考えたい。
『異端児』は「世界を変える」・「科学を進歩させる」ということと、どういう関係にあるんだろう?
さらに、一民間企業における『異端児』の存在意義も考えたい。そもそも『異端児』は、企業にとって必要なのか、それとも不穏分子なのか?


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