今、日本で実施されている治験の数は?

先日、テレビの中で北野武が「阪神・淡路大震災は死者が6000人以上でた地震と言われるが、そうではなく一人が死んだ地震が6000回以上起こったと考えると別の思いが出る」と言っていた。

確かにあの阪神・淡路大震災で亡くなられたひとから見れば、「6000人以上が死んだ」とひとくくりにされたくないだろう。

ひとりの人間の人生はひとつである。

その貴重な人生がひとつでも無くなれば終わりだ。

そんな災害が6000回以上発生した、と考える。


たとえば亡くなられたひと本人でなかったとしても、家族や友人がひとりでもあの阪神・淡路大震災で亡くなられたひとにしてみれが、衝撃的なことだろう。

もちろん「6000人以上が死んだ阪神・淡路大震災」という言い方でも、僕たちには衝撃的であり、今後の震災に対する被害を少しでも少なくしたいと思う。


でも、北野武の見方もそれはそれで僕たちに強烈なものを呼び起こす。

そこで、パクリが好きな僕はすぐに「治験」で、こういう見方をするとどうなるかを考える。

つまり、今、日本で実施されている治験の数はいくつだろう? と考える。

多分、100人以上を目標症例数にしている治験は30個以上あるだろう。

それだけでも、上の見方で言うと3000人以上が治験に参加しているのだから、3000個以上の治験が存在するわけだ。

その中に例えば僕の母も去年の夏の頃には入っていた。

それは間違いなく、僕にとっては実の母が参加しているひとつの治験だった。


3000個の治験ではそれぞれに有害事象やひょっとしたら重篤な副作用が発生しているかもしれない。
(事実、僕の母は強度の倦怠感が原因で、その治験を途中で自ら辞めた。)

そんな痛みや苦労を僕たちは簡単に考えすぎてはいないだろうか?



今、治験の活性化5ヵ年計画の案が練られている。

そうなると、これからますます多くの方が創薬ボランティアとして痛みや苦労を背負うことになる。

もちろん、その治験薬のおかげで病気の苦しみから少しでも救われるひともいるだろう。

そんなひとり一人の人生に想いを馳せながら僕たちは暮らしているだろうか?

「目標症例数、600人!! 目標とする治験の終了日は2009年12月!」って、ひとくくりにしていないだろうか?

こんなことを考えながらでは治験なんてできないと誰かは言うかもしれない。(そして、それはそうかもしれないが。)




でも、僕の耳にはまだ去年の夏、電話の向こうで辛そうに症状を言っていた母の言葉が残っている。

これからも僕はずっと、こんなことを考えながら、暮らしていくつもりだ。

これは誰かに強制されるものでも、強制するものでもない。

好き嫌いの問題なのかもしれない。



今、たった今も、この瞬間に日本では3000個以上の治験が行われている。







『患者のための「薬と治験」入門 』・・・治験関係者は時々原点に戻ろう


患者の視点を忘れたところに「治験の促進」はありえない。
 
治験における主人公は治験責任医師でも治験依頼者でもない。
治験に参加してくださる患者さんだ。
 
治験に慣れてしまった治験関係者は時々本書を読み返そう。

僕たちは治験の原点に戻る必要がある。


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