やっぱり、エルデシュ叔父さん

>どんなもんかな。次回は中学生用を考えてみよう。
・・・なんて言っている間も、「放浪の天才数学者エルデシュ」を読んでいた。

エルデシュは数学に多大な貢献をした」とカルガリー大学の数論学者、リチャード・ガイは言う。
「だが、僕にとってより重要だったのは、彼がおびただしい数の数学者を育てたということだ。特に彼は優れた難問出題者だった。」
エルデシュはただ適切な問題を出すだけではない。ちゃんと適切な人物に向けて出すんだ。彼は、きみが自分にどれほどの能力があるかをきみ以上に知っているんだ。」

ここから分かることは、エルデシュは他者の数学の才能を見つけることにも、非常に秀でた人だったということだ。
そして、その人をより良い方向に、より高い方向に導く問題を提供できる(指示できる)、優秀なコーチというわけだ。

今回のオリンピックで女子800m自由形で、日本人女性として初の金メダルを取った柴田亜衣選手。
高校まで、全く目立たない選手だった。そこに才能を見出したコーチが凄い。
「あわてず、あせらず、あきらめず」という指導も渋くていい。
女子マラソンで金メダルを取った野口みずき選手も、コーチが長距離からマラソンに転向させて、才能が開花した。

授業の内容も大切だが、生徒の力を見抜ける先生の才能も大事なんだ。
「他者の才能」を見抜くのも、先生(に限らないが)の「才能」だ。
また、そのような人に出会えるかどうか、というのは、今度は生徒自身の「ツキ」という「才能」の一種だろう。
 

しかし、それにしても、エルデシュは「数学」が好きで好きでたまらないのだ。
そして、その自分が好きな数学の世界に若くて優秀な人が入ってきて、育ってくれるのが嬉しいのだ。
 

そのような熱意無くして、数学を好きな人を育てることができるだろうか?
小・中学校の理科の先生にも、それを求めてはいけないのだろうか?