さよなら、僕の時間

今年もあとわずか。

普段は走る抜けることに全力を注いでいる人たちも、フト過去を振り返る季節。

世の中は今年もまた「激動の一年」だった。イラク戦争自衛隊の派遣。SARSの流行。BSE問題。
治験の世界だけでも「医師主導の治験」、「大規模治験ネットワーク」。薬業界としては、薬事法大改正の発表。

一個人ではどうだったろう?

僕の基本的スタンスは「人生の目的は生きることにあり、人生を語ることではない」だ。
だから、この一年間という時間を生きてきたということで、僕の目標はクリア。

しかし、そうは言っても、どうせ生きるなら、「楽しく」「有意義に」生きたい。
そして、「自分の思ったまま」に時間を過ごしたい。

貴重な時間を無駄に過ごしたくないとは誰もが思うだろう。
ところが、現実はどうか?
無駄に長い会議、無駄な資料を読む時間、仕事というよりは「単なる作業」、自分でも「なんでやるのか分からない」コト・・・そういったモノに取り囲まれている。
特に会社勤めをしているとそうだ。

では、どうするか?

これはもう「選択」の問題だ。

「会社」を取るか「自分」を取るかになる。

僕は「自分」を取っている。
一回出たら、もう二度と出なくていいなと思った「年頭、年度開始の『社長の挨拶』」には出ないことにしている。

回ってくる書類も全てに目を通す時間なんてあるはずがない。
メールもしかり。
そして、「仕事」もそうだ。

自分が「重要でない」と思う仕事は、会社に迷惑にならない程度に手を抜いている。
しかし、「これは手を抜くと会社としてもやばいぞ」という仕事には「一人でも」食い下がっている。
おかげで、結構、敵も作っているはずだ。(「30人の組織長」 vs 「僕一人」 という時はさすがに辛かった。)
だけど「正しいと思ったことを言ったり、行動することに躊躇しない」というのも、僕のポリシー。
それを曲げたら、僕の存在価値が僕の中で無くなってしまう。
ここが大切だ。僕の存在価値は僕が決める。

僕の時間は「有限」で、その中で出来ることは自ずと決まってくる。
僕を構成しているのは「自分」という肉体と「人生」という時間だ。
そのどちらも、誰からも拘束されたくない。

自分でも虫のいい話だと思う。一歩間違えると単なる「わがまま」だ。
しかし、よく考えてみよう。
僕のこの一年間という「時間」は「消費」されるだけで「蓄積」することは出来ない。

我ながら「青臭い」ことを言っていると思う。
でも、「自分の時間」を「有意義に使う」こと以上に大切なことって、人生にあるの?

さよなら、「一年間」という僕の時間たちよ。


医薬品ができるまで
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