●治験のあり方を考える(1)製薬会社の正直な気持ち

「治験のあり方」を考える。

治験はどうあるべきなのだろうか?

まず、治験に参加していない一般的な患者(つまり、普通のひと全て)にとって、治験は「新薬開発の場」であり、とにかく、早く画期的な新薬を世の中に出して欲しいと思うものだ。

なにしろ、僕だって、いつ抗がん剤のお世話になるか分からない。

あるいは、僕の家族、あなたの恋人が難病になるかもしれない。

そんな時に、治療薬が有って欲しい。

そのためには、まず「画期的な新薬の卵」が必要なのだが、もしそれが有ったとしても、日本での開発が海外よりも遅れていたら、僕なら怒る。

例えばアメリカでその画期的な新薬の開発が先行していて、もう来月には承認され、臨床の現場で使われるというときに、日本ではまだ開発の予定は無いとか、今、準備中だとか、来年には治験が終わるだろうとか、とにかく、日本以外のところで利用されている薬が日本で(しかも自分の家族や自分自身や恋人、友人など)まだ使われないとなったら、怒る。同時にがっくりくる。


じゃ、日本でも早く治験をやってよ。せめて、アメリカで開始すると同時に日本でも開始してよ、と思うのだが、ここに製薬企業の営利企業としての市場原理が働く。


新薬開発に関わる膨大なコストをできるだけ早く回収したいと思ったら、まずは日本より治験が早く進むアメリカなどを開発の最初の場所として選ぶ。

ここで、一般市民の方は、日本での治験の進み方が遅いのなら、まずは日本から始めるんじゃないの?と思う。
その感想は正しい。

じゃ、何故、製薬会社はまずアメリカだけで治験を始めるのか?
それは、開発が途中で頓挫する可能性もあるからだ。
もし、途中で開発が頓挫するなら、日本や世界各国で同時に開発をするのはリスクが大きすぎる。

アメリカで治験を最初にやるのは、だからパイロット的な意味もあるのだ。

アメリカでうまくいったら、日本でも、というのが製薬会社の正直な気持ちだろう。