治験のパラダイムシフトに挑戦(あえて逆を考える。)

コペルニクスは太陽ではなく、地球が回っていることを世間に広めた。
それからと言うもの人類は宇宙の主人公ではなく、ただの宇宙を構成する諸々の中のひとつであることを(好むと好まざると関係なく)認めざるを得ない、という状況になった。


食料品店の商品の並べ方は、かつては「店員」が効率良く商品を取り出せるように工夫されていた。
ところがあるとき、「店員」ではなく「お客さん」に好きな商品を効率良く取り出せるように陳列した人が現れた。
セルフサービスのスーパーマーケットが誕生した瞬間である。


品物を作る時に、材料庫から材料を作業台まで持ってきて、作業をする。
しばらく作業が進んだら、また別の材料を持ってきて作業をする。
これが仕事の基本的なやり方で、これしか無いと誰もが思っていた時代に、人間は動かずに、材料がベルトコンベアで運ばれてきて、それを組み立てる方法を考えた反逆児がいた。
工場生産に、この「流れ作業(ライン作業)」を応用したのは英国でマーク・イザムバード・ブルネル(en:Marc Isambard Brunel)が英国海軍用に滑車装置(en:Block and tackle)を作るためにアセンブリー・ラインを用いたのが最初といわれている。
1801年のことであった。出典:ウィキペディア
この流れ作業を全社的に導入して成功したのが自動車会社のフォードだ。


「発想を変える」、あるいは「逆転の発想」と言うのはたやすいが、行うは難しだ。

例えば、こんなのはどうだろう?
創薬ボランティアの皆さん(入院患者さんを除く)には、現在、「交通費等の負担軽減費」という名目で7000円前後をお支払いしているが、ここはあえて「謝礼」と考えてみる。

入院患者さんにも外来患者さんにも治験に参加するには「精神的負担(インフォームド・コンセントとか、プラセボになるかもしれないという不安とか)」を強いている。
それも何の見返りもなく。
この状況は「ただで患者を人体実験として使っている」というふうに何十年後には思うかもしれない。

僕の母も販売後臨床試験に参加して、副作用が発生したり、普段より多くの検査を受けることに精神的にまいっていた時期がある。

治験に参加して頂いて、精神的な負担まで課しておいて、なんのお礼もしないなんて、なんという非人道的なことなんだろう!と、ここでは考えてみる。
今までの逆だ。ここはあえて、今までの慣習(慣習でしかない!)の逆を考えてみる。


治験責任医師が作る資料は、当然、治験責任医師側で作る。モニターは一切、手伝わない。(当たり前のように聞こえるが、実は、今はモニターが肩代わりしていることも、多々ある。)


日本人の治験データは、そのまんま、韓国、中国、台湾などでは無条件で使用できるようにする。
もちろん、その逆の中国や韓国、台湾で集めた治験データも、無条件で日本で利用できることとする。

僕が以前、フランス系の外資製薬会社で働いていたときのことだ。
ちょうど、ICH-GCPが導入されて治験の空洞化が叫ばれていたときに、フランス人のボスはこう言った。「日本で治験が進まないのなら、台湾や韓国で治験を実施して、そのデータを使ったらどうだ?モンゴリアンのデータならいいんだろう?」
もちろん、その案は却下されたが。



はたまた、「日本国内の治験の空洞化」をあえて促進させる、と考える。
例えば、アメリカに(あるいはイギリスに、フランスに・・・etc)住んでいる日本人で治験を行い、そのデータがFDAで承認されたら、日本では無試験でその薬を承認する。
(逆に日本に住むアメリカ人の治験データを、そのままFDAに申請データとして使えるようにする。)

こんなことをすると日本で臨床試験を行う基盤がいつまでたってもできないと思うのは学者さんだけで、病気の痛みで苦しんでいる患者さんにとってみれば、どうだっていいことなのだ。

がんの患者さんや難病の患者さん、家族の方は、一刻も早く新薬が使えるようになることだけを願っている。その新薬のデータがどこで集められたものであるかなんて、気にしない。

・・・・・・と、ここでは考えてみる。


もう一度、日本で治験をやるメリットとデメリットをあげてみよう。


あるいは、日本全国の46都道府県の全てに「治験専門病院」を設置する。
その運営資金は全国の製薬会社から一定の割合で(治験をやっていようが、やっていまいが)拠出させる。
さらに、全国民からも(税金として)拠出してもらう。


何故、アメリカでは治験が早いのか?という答えのひとつに「日本のように保険制度が整っていないから」というのがある。
だったら、治験を促進させるために保険をやめてみる。(本末転倒だ。)



もっと、もっと、荒唐無稽のアイディアを考えてみよう。(いつものように。)