治験の常識論を撃つ!

先週に引き続き「日本における治験の促進方法」を新入社員に検討してもらった。
前回とは違い、GCPもプロトコルも同意説明文書も、そして日本の治験環境も習ったあとでの検討だ。

検討結果はよく聞くフレーズだった。
「国民の皆さんに治験の必要性や治験そのものを啓発する。」

ね? よく聞くフレーズでしょ?

そこで僕は全員の検討結果のあとで新入社員に質問してみた。
「きみたちは4月から治験についていろんなことを習って、学生の頃より治験そのものや治験の必要性が良く分かったよね? じゃ、きみたちは学生の頃と比べて、治験に参加しようという気持ちが高まった?」

答えは「NO」だった。


検討結果に一歩、踏み込みが足りないのだ。
治験のことを例えばテレビで紹介しただけで、本当に治験が促進するだろうか?
自分ならどうだ? という検討がなされていない。


あくまでも自分たちは治験を依頼する側で、治験を試される側に身を置いて考えていない。
「被験者の人権、安全及び福祉を守れるモニターになりたい。」と誰もが言う。

それって、第三者的な発言なんだよね。

自分が参加した治験のデータが「測定違反のため有効性のデータは不採用とします」って、なったらどう思う?


人間は自分が病気にならないと本当の病気の苦しみを理解(実感)できないのだ。

せめて、それだけは覚えておこう。